ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長 も「全員経営」の重要性を唱える一人だ。社員に「チームの一員であると同時にチームのリーダーであること」「自分の仕事に対して自らリーダーシップをもつこと」を求める。
これに関連して興味深いエピソードが先日、経済紙(日経産業新聞2011年2月15日付け)に掲載されていた。ネットワーク機器最大手、米シスコシステムズの会長兼CEO(最高経営責任者)であるジョン・チェンバースといえば、カリスマ経営者として同社を巨大企業へと押し上げた功績で知られる。そのチェンバースがトップダウンから「コラボレーション(協業)とチームワークの経営」へ、180度転換する変革を決意したというのだ。
コラボレーションのベースになるのは、YouTubeやツイッター、フェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の仕組みをビジネスユースに応用した社内SNSだ。世界で7万人を超す社員がそれぞれ自分のページを設け、得意分野の情報や自己PRビデオを載せる。社員は互いに情報を検索し、各分野のエキスパートを見つけ、チームを組んで仕事を当たることができる。
社内SNSが国境や部門、上司と部下の間にある壁を取り払った仮想の"職場"になり、このプラットフォーム上に、「世界に散らばる人材の英知を瞬時に結集できるインフラを作り、社員一人ひとりの立場で最適な判断をタイムリーに下せる俊敏さをめざす」という。
「衆知による全員経営」を想起させるが、実際のヒントは日本にあった。ソフトバンクモバイル(SBM)だ。孫正義社長はツイッターを経営に活用することで知られる。日々寄せられる顧客の生の声をもとにその場で経営的な判断を行うことも少なくない。この「孫流」を取り入れて社員たちもツイッターを活用し、新しい顧客サービスを発案するようになったという。
社員一人ひとりが孫流を実践する、いわば「全員カリスマ」の経営。チェンバースが情報通信を巡る経営環境の激変に対応するため、経営を180度転換したことが如実に示すように、日本に押し寄せる経済的混乱の中、再創造に向けて今、我々が取り戻すべきは、優れた実践的知恵、すなわち実践知を社員一人ひとりに組み込む全員経営のあり方である。そして、それは日本企業が本来もつDNAであることを再確認すべきなのだ。
では、社員一人ひとりの実践知を高めるにはどのような能力が必要なのだろうか。第1に現場での「即興の判断力」だ。その出発点は何が「よいこと」なのかという共通善の価値基準を持つことだ。その価値基準をベースにしながら、現場で個別具体のミクロの現実に直面した時、背後にある関係性を読み、マクロの大局と結びつけ、最適かつ俊敏な判断を行う。
もし、判断が結果的に間違っていたら、即、フィードバックして修正し、次の目標に向けてフィードフォワードしていく。このサイクルを速めながら一歩一歩、自分たちの目指す「よいこと」に近づいていくのだ。
この即興的な判断には直観的な察知力が大きく働くが、日本の場合、その直観の背後には特有の美意識があるように思う。西欧社会では存在の本質を問う形而上学が発展したが、日本では形而上学に代わって、「世のため人のため」を志向する美意識が独特の発展を見せた。それは武道や茶道などの「道」に通じ、今も生き方や働き方の「型」となって定着している。
今回の大震災でも、被災地で整然と並んで救援物資の配布を受ける様子などが海外で称賛されたが、それは日本人にとって「道」であり「型」なのだ。ビジネスにおける即興的な判断も日本的な美意識が下支えする。我々は無意識のうちにも、「世のため人のため」に判断している。
この即興的な判断力を妨げるのが、米国流の経営に強く影響を受けた分析至上主義と過剰なコンプライアンス(法令順守)だ。もちろん、経営に分析力は必要であり、グローバル化に適応するにはルールに基づくコンプライアンスも取り入れていかなければならない。
本来なら、現場での実践知を重視する日本伝統のリアリズムと、分析やコンプライアンス重視の米国流のバランスが取れている状態が望ましい。ところが、分析やコンプライアンスへの過剰な傾倒が現場での実践知を弱体化させてしまった弊害に我々は気づかなければならない。
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